「相手を変える」と「相手をコントロールする」の差異

本の中で、選択理論島に移住するための質問として、

「あなたが人間関係で信じていることは次のどちらですか?」

 

A:私は相手を変えることができる

B:私は自分だけを変えることができる

 

という質問が投げかけられる。

 

そして、Aと答えた人は、選択理論島に住民票を移せず、Bと答えた「私は自分だけを変えることができる」、つまり、「相手(他人)を変えることはできない、コントロールできるのは自分だけ」と確信できた人だけが、選択理論島の住民票を持つことができるとされる。(「人間関係をしなやかにするたったひとつのルール」74頁)

 

ところで、私の場合は、上の二択の質問に対しての答えは、Aにもそのまま当てはまらず、かといってBでもなく、

 

「私は、自分の行動をコントロールして、相手に影響力のある言動をすることにより、相手に、私の期待通りに変わってもらうことができる可能性がある」というような答えになるが、これをあえて、上の二つのどちらかに含めるとすれば、どうなるのだろうか、どちらかというと、Aに近いものであるように思う。

 

また、私自身は、「自分の行動をコントロールできるのは、自分だけである」と考えているが、その一方で、人から影響力のある言動をされたときには、「自分の行動は、相手の影響力のある言動によって、変わることがある」、というものになろう。

 

後者の場合、「私の行動を変えたのは、私である」が、ある意味で、「相手は、私を変えることができた」とも言えそうである。

 

このように考えてくると、上記の二択の質問に答えるのが難しいように感じる。一方、上の質問を少し変えて、

 

A:私は相手の行動をコントロールすることができる

B:私は、自分の行動だけをコントロールすることができる」

という二択の質問に変えるとしたら、

 

この場合は、私の答えは、「A:私は相手の行動をコントロールすることができる」ではなく、「B:私は、自分の行動だけをコントロールすることができる」となるだろう。

 

その意味で、「相手の行動をコントロールする」と「相手を変える」とでは、ニュアンスの違いがあるように思われる。

 

「相手の行動をコントロールするとは、具体的な行動を統制する、というニュアンス」であり、一方、「相手を変えるとは、具体的な行動をコントロールする、というより、結果的に相手に変化してもらう」ということであり、ある意味、途中の相手の行動よりも、結果としての、相手の変化を重視しているからである。

 

このように考えると、「相手の行動をコントロールする」ことはできないが、「自分が影響力のある言動をすることで、相手を変えることができる可能性がある」のであり、これは、ある意味で、本に掲載された、二択の質問の答えとしては、Aの「相手を変える」ことに含まれるというように思われる。

 

従って、説明の仕方としては、

「私は、相手の行動をコントロールすることはできない」

「私がコントロールできるのは、私の行動だけである」

と言われたとしたら、私の場合は、疑問も少なく、納得できる。

 

「自分が影響力のある言動をすることで、相手を変えることができる可能性がある」については、私としては、この答えが、

「私は、相手の行動をコントロールすることはできない」

「私がコントロールできるのは、私の行動だけである」

という考え方の範囲内のものであると認められるならば、納得できるが、それも、「排除すべき外的コントロールだ」といわれると、釈然としない。

 

現在の、本の記述では、「相手の主体性を尊重しつつ、相手に対して影響力のある言動をする」ということが、排除すべき外的コントロールになるのかどうか?ここがあいまいなままである。