QLOOKアクセス解析

「喪失」を自分をモデルに考えてみる

大切な人を失う、ペットを失う、地位を失う、仕事を失う、大金を失う、自分の健康を失う、など、自分が今まで持っていたものを失った時には、程度の差はありますが、大きな悲しみに襲われ、しばらくは立ち直れず、沈んだ状態が続く、ということが起こります。

 

私の場合は、これまでに、ある程度の大きなロス(喪失)を経験した際に、クライアントの立場として、以下のようなことを考えました。

 

ロス(喪失)は、今まで、自分の上質世界に入っており、自分が現実に手に入れていたものを、ある日、突然失ってしまうことであるといえます。上質世界に入っていた大きな写真が失われるだけでなく、その写真に関連したさまざまなものまで失い、自分が実現できていた上質世界が、一挙に縮小したということになります。これはまた、今まで満たされていた基本的欲求が満たされなくなったということを意味します。

 

ところで、大切なものを喪失したときに、充たされなくなる私たちの基本的欲求は、いったい、どの欲求なのでしょうか。たとえば、大切な人やペットをなくした場合は愛と所属の欲求、仕事、地位、お金などを失った場合は力の欲求などが主なものになるでしょうが、私は、このときに、これまで満たされていた生存の欲求もかなり失ってしまうのではないかと思います。

 

選択理論では、生存の欲求は、身体的欲求とされていますが、生存の欲求が満たされていない場合に、心に不安を感じることも多く、その意味で、不安は心理的なものであり、生存の欲求は、必ずしも身体的欲求ではなく、心理的欲求でもあると考えてよいのではないかと思います。

 

人は、何か大切なものを喪失することにより、生きている意味がなくなったように思えたり、これから生存していくにあたって、生き続けていくことができるだろうかという不安が増大したりするでしょう。そして、感情として落ち込み、生理的な症状として、食欲、生きることへの活力が減退したり、不眠になったり、ひどいときには、自分で自分がコントロールできない、というようなことも生じるでしょう。

 

そして、喪失した対象について、自分がしたことや、しなかったことを悔んだり、喪失の原因が自分にあると責め始めたりします。

 

このようなときに感じるであろう、だれにもわかってもらえないさびしさ、だれにもわかってもらうことができない自分の無力さ、このままでは生きていけないという不安、このままでは生きている意味がないという生きがいの欠如、精神がおかしくなるのではないか、自分で自分をコントロールできなくなるのではないかという不安、などは、これらが、力の欲求や愛・所属の欲求などとの区分が難しいかもしれませんが、心理的な意味での生存の欲求が満たせなくなったことで不安を感じるのだと、捉えることができるのではないかと思います。

 

さて、選択理論・RTの内的コントロールの一般論からすると、喪失した人やもの、ことなども、ある意味で、本人にとっては外部環境であり、一種の情報であるから、それに対し、本人がどう受けて止めて行動するかは、本人の責任であり、自由であり、個人は、このような状況であっても、よりよい行動を選択できる。ということになるでしょう。

 

しかし、これが自分自身のこととなると、自分の心が、そのように思いきれるようになるまでには、喪失したものが自分に対して持っていた意味の大きさにもよるでしょうが、時間がかかる場合もあるでしょう。多くの場合、かなりの日月、時には年単位の時間がかかるかもしれません。

 

とはいえ、このような喪失の問題を抱えたクライアントにとっては、まず、カウンセラーに共感的に理解され、自分が受容されたという思いが持てるようになることが、大事だと思います。

 

そのうえで、そのクライアントがカウンセラーに、どういう支援を求めているのかを確認し、そのような支援をしたり、あるいは、クライアントの状況やニーズから、カウンセラーとして、自分にできる支援を提示していくということになるのではないかと思います。

 

そして、クライアントが、今の状況を乗り越えたい、これからの人生を考えたい、と思い始めたら、WDEPモデルに沿って、選択理論・RTベースのコーチングやカウンセリングを行っていくというのが、望ましいのではないかと考えます。

 

私個人としては、例えば自分に喪失の問題が降りかかってきたら、まず、次のような質問を、自分に対して投げかけてみると思います。

 

・喪失した相手やペットは、自分がこれから生きていくことに対して、どのような人生を送ってほしいと望んでいるであろうか。

 

・相手には相手の自由があり、責任があり、自己責任のもとでの選択があったのだから、相手の責任や選択まで、自分が負うことはできない。

 

・自分にはコントロールすることが不可能であったことを、いつまで悔いても仕方がない。

 

・いったい、自分にはどのようなことができただろうか。そして、それをしていれば、事態は大きく変わっていただろうか。

 

・相手との意見が違っていた場合、相手の説得を試みたとして、相手は説得に応じたであろうか。相手が合意せず、自分の選択した道を行ったうえでの結果であれば、自分がそのことを悔いても、仕方がないことになろう。

 

・喪失したものを得る前は、自分はどういう人生を送りたかったか(得る前の元の状態に戻っただけではないか)、

 

・仮に、大切な人やペットを喪失しなかったとしたら、自分はどのような生活を送り、どのように生きていただろうか。

 

・喪失した体験は、これからの自分にどのような学びや経験をもたらしてくれるだろうか。

 

以上のような視点からの質問を自分に対して投げかけることが、自分の見方や考え方を変えていき、いくぶんでも元気が回復したら、新たな自分の未来に向けて、上質世界を紡ぎ直し、生存の欲求をはじめとして、他の基本的欲求が再生されるような行為と思考を選択していくことが、私にとって解決策となっていくのではないかと思います。