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外的コントロールについての問題意識

 

<ここで伝えたい要旨>

「選択理論」「内的コントロール心理学」の立場では、「外的コントロール心理学」「外的コントロール」を対立概念と考え、これを排すべきものとの考え方をしているが、次のⅰ)~ⅶ)の理由から、

 

①問題とすべき外的コントロールを、「人間関係を悪化させる外的コントロール」というように限定して考える、

 

②「外的コントロール心理学をやめて、選択理論に移行すべし」というより、単に、「選択理論を取り入れるべし」とする、

 

というふうにした方が、疑問が少なくなり、すっきりするし、社会の一般的な考え方に沿い、結果として、選択理論に対する、より多くの理解者、実践者を増やしていくことにつながるのではないかと考える。

 

ⅰ)選択理論の基本である「個人の主体性と行動の選択の自由」「自分の行動に責任を持つこと」「人の欲求を阻害せずに、自分の欲求を充たすこと」などは、現在の日本社会においても、「個人のあるべき姿」として目ざすべきものであり、当然な考え方として、了解できるものであること、

 

ⅱ)私たちの意識として、自分の行動選択に対する、外からの影響の程度と、内的動機づけの程度は、どちらが100かゼロかというものではなく、両方の意識が同時にあること

 

ⅲ)強弱はともかく、発した言葉が相手に何らかの影響を与えることは否定できず、外的コントロールや、「相手に、外から影響力を行使すること」は、人と人とのコミュニケーションの本質と考えられること

 

ⅳ)現代の社会において、「相手に、外側から影響力を行使すること」は、当たり前のこととして行われているが、それらが、必ずしも、相手の欲求を阻害したり、相手との人間関係を悪化させるものではなく、かえって、受け手の欲求を充足する場合も多いこと

 

ⅴ)「人間関係を悪化させる外的コントロールの行使」が問題となるのは、人間関係一般というより、主として、「伝え手が受け手に対して所有意識を持ちやすい、親子、教師と生徒、上司と部下という身近で重要な人間関係」である場合が多いこと

 

ⅵ)外的コントロールが、相手との関係を悪化させるかどうかは、受け手の意識や受け止め方次第なところがある。受け手の欲求が健全な形で満たされるような程度の外的コントロールであれば、あえて、神経質になる必要はない。また、伝え手が、受け手に選択の自由があることを積極的に認めていけば、その分、外的コントロールの程度が低くなること。

 

ⅶ)外的コントロールの問題を考えるに当たっては、「伝え手側の問題」と「受け手側の問題」の二つにきっちりと分けて、考えた方がわかりやすい。その際、「伝え手が意識すべきこと」としては、「人間関係を悪化させる外的コントロールはしてはならない」「相手の行動選択の自由を認めるべきである」ということであり、一方、「受け手側が意識すべきこと」としては、「自分に行動を選択する自由があり、行動の責任もあること」「相手が伝えることは、単なる情報に過ぎず、どう行動するかは、自分の自由であること」である。

 

 

<本論の項目>

 

①選択理論の考え方は、了解できる

②選択理論が問題とする「外的コントロール」の範囲について

③「外的コントロール」であるか、「内的コントロール」であるかは、二

  者択一なのか?

④「伝え手の外的コントロール」と「受け手の主体性と行動選択の自由」

  は両立する

⑤「自分の行動は内的コントロールで行うが、人には外的コントロールを

  行う人」も多い

⑥言葉を発すれば、相手に大なり小なり影響を及ぼすものである

⑦現代社会と「外からの影響力の行使」

「説得しても相手を変えられない場合があるが、納得すれば、相手は自

  分から変わる」

外的コントロール的な行為で伝える「内容」と相手のニーズ

相手に、外から影響力を行使することは、「選択理論の世界」でも大事

 なことである

問題は「人間関係を悪化させる外的コントロール」である

選択理論が問題にしているのは、「大切な人間関係」における外的コン

 トロールである

これまでのところをまとめると

「外的コントロールの行為」と「人間関係を悪化させる外的コントロー

  ルの行為」を区別すべき

次のような主張なら、わかりやすくて、すっきりする

「伝え手として気をつけるべきこと」と「受け手として気をつけるべき

  こと」

 

以下、本論です。

 

①選択理論の考え方は、了解できる

例えば、「自分の行動は自分が選択している」ということは、その通りであると思う。

他者から、涙を誘うかわいそうな場面を見せられても、笑いを誘う場面を見せられても、私たちは、時と場合によっては、「泣くのをこらえる」「笑いたいのをがまんする」ということをする。

 

このときには、私たちは、あきらかに、外からの刺激に反応して行動するのではなく、「自分は泣かない選択をする」「自分は笑わないことを選択する」というように、自分の行動は内側から動機づけられているし、自分が自分の行動を選択している、という選択理論の考え方、内的コントロールの考え方は、そのとおりであると理解できる。

 

このような例はいくらでも考えつくことができるので、選択理論、内的コントロールでいう、「私たちの行動が内的に動機付けられ、自分の行動を自分で選択していること」は、本人がどの程度意識しているかはともかく、だれもが否定することはできないことであり、当然のことと了解できるものである。

 

 

②選択理論が問題とする「外的コントロール」の範囲について

外的コントロール心理学とは、「人は、外側から動機付けることができ、操作することができる」とする立場に立つ心理学であるとされる。

 

そうすると、このときの外的コントロールとは、「人を外側から動機付けること、人を外側から操作すること」となり、「相手に、外側から影響力を行使すること」も、「外的コントロール」に含まれるというとらえ方ができるように思われる。

 

ところで、選択理論では、私たちは、「外的コントロール心理学の世界」から、「内的コントロールの選択理論心理学の世界」に移行すべきである、そして、「外から相手を動機付ける外的コントロール」をやめて、「人の行動は内側から動機付けられるという内的コントロールの考え方」を採るべきであるということが主張される。

 

ということは、「相手に、外側から影響力を行使すること」もすべてやめなければならないと主張されているように思われる。

 

一方、選択理論では、「相手を自分の思い通りに変えようとする外的コントロール(たとえば、批判する、相手のせいだと責める、文句を言う、がみがみ言う、脅す、罰する、褒美で釣る)」が、大切な人間関係を悪化させ、人の長期的な心理の問題の原因となるから、このような「相手を自分の思い通りに変えようとする外的コントロール」は、してはならない、とされる。

 

つまり、「人間関係」の視点で問題視されている外的コントロールとは、「批判する、相手のせいだと責める、文句を言う、がみがみ言う、脅す、罰する、褒美で釣る、などの相手を自分の思い通りに変えようとする外的コントロール」である。

 

上記のように、選択理論が、人間関係を悪化させるとして問題視している外的コントロールは、「批判する、相手のせいだと責める、文句を言う、がみがみ言う、脅す、罰する、褒美で釣る、などの相手を自分の思い通りに変えようとする外的コントロール」である。

 

にもかかわらず、選択理論の世界に移行するためには、「外から相手を動機付ける外的コントロール」(=相手に、外側から影響力を行使すること)を、すべてやめなければならないということになるように思われる。

 

このような選択理論の考え方からすると、例えば、相手に対して影響力を行使しようと、情報を伝達したり、指示やアドバイス、リクエストをしたりすることや、「行動を変えてほしいという自分の期待を伝えること」「相手にぜひ変わってほしいと考えて、強いメッセージを伝えること」などは、やめるべき「外的コントロールの行為」になるのであろうか。

 

さらに、相手に質問をするということも、考えようによっては、「相手に答えを言うことを強制する」ととらえられたりするのではないか、という疑問が生じてくる。

 

 

③「外的コントロール」であるか、「内的コントロール」であるかは、二者択一なのか?

選択理論の主張の背後には、人の行動は、「外からの動機付けで引き起こされる(外的コントロールによる)」か、「内側からの動機付けにより引き起こされる(内的コントロールによる)」かのいずれかである、という前提があるように思われる。

 

とはいえ、私自身が、自分の行動がどのように引き起こされていると意識しているかと考えれば、自分では「個人の主体性を確立しており、自分の行動は自分で選択している」「自分の行動は、内側から動機付けられている」ということが自然に思える。

 

しかし、一方では、「自分の行動は、相手から行使された影響力もふまえたものである」ということにも、また、自然な思いがある。どうも、どちらかが100で、どちらかがゼロというものではないように思われる。

 

たとえば、「相手を説得する」という場合で考えても、伝え手の方では、当然、「説得によって、相手を納得させよう」と考えており、これはこれで、「外からの影響力の行使」であり、「外的コントロール」的であることは否定できないと思われる。

 

一方、説得を受けた、受け手の方が、「説得を受けて、納得した」という場合、「納得したという行動」が、「相手の説得の影響力によるもの」か、「自分が納得したという、内側からの動機付けによるもの」かのいずれであるか、ということは、明確には分けられない。説得した側にもはっきりとはわからないし、納得した側にも、はっきりとわからないかもしれない。

 

 

④「伝え手の外的コントロール」と「受け手の主体性と行動選択の自由」は両立する

人は、説得(影響力を行使)して、変えられる場合もあるが、変えられない場合もある。しかし、相手が納得すれば、相手は自分から変わる。この場合、相手が、説得によって、変えさせられた(外的コントロールで変えられた)と考えているか、自ら納得して変わることを選択した(内的コントロール)のかは、外からは、わからない。通常は、説得に折れて(外的コントロールを受けて)、本人が変わることを選択した(内的に行動を選択した)、つまり両方の要素があると考えられるのではないであろうか。

 

このように、選択理論では、「伝え手の外からの影響力(外的コントロール)」と「受け手の内側からの動機付け(内的コントロール)」を対立するものと考え、どちらか一つであると考えているように思われるが、この二つは、受け手の中では、両立し、並存するものではないかと考えれられるのである。

 

しかも、受け手が、相手の説得を受けて納得した場合、相手の外的コントロールは受けたものの、受け手としても、何らかの欲求が満たされるから納得した、つまり欲求充足できるから納得したということがいえるのであり、外的コントロールが、相手の欲求を阻害するとばかりはいえない。

 

したがって、「伝え手は外的コントロールに気をつけるべき」という話と、「受け手が外的コントロールをどう受け止めるか」という話は、はっきりと、別々のこととして、検討した方がよいのではないかと考える。

 

⑤「自分の行動は内的コントロールで行うが、人には外的コントロールを行う人」も多い

また、「個人としての主体性をしっかり持っており、自分の行動は自分で選択しているが、一方で、他人に対しては、自分の思い通りに行動させたいと考える人」も多くいる。

 

私自身もそうであり、いろいろな場面で、相手を説得して、自分の意見を通したいということがある。このエッセイも、自分としては、読者に対して「外からの影響力を行使し、賛同するように外的コントロールする」という意図を持っている。

 

このような、「自分の行動は内的コントロールで行うが、人に対しては外的コントロールを使うという人が、今の社会では、一番多いのではないか。

 

 

⑥言葉を発すれば、相手に大なり小なり影響を及ぼすものである

言葉は、相手に伝わった以上、相手に何らかの影響を及ぼすものである。受け手は、受けた言葉を踏まえて、自ら行動する。

 

このようなことは、古今から現在、未来まで、変わりのないことであり、それがコミュニケーションというものであろう。

 

例えば、人に選択理論を説明する場合も、相手に、「選択理論を採用する方向で、変わってほしい」ということを前提としている。

 

したがって、相手に対し、「選択理論を取り入れれば、幸せを増やし、不幸を減らせるようになる」と伝えることも、「相手に、外から影響力(外的コントロール)を行使すること」に違いはないから、これも「外的コントロール」に該当するということになるのではないかと思われる。

 

 

⑦現代社会と「外からの影響力の行使」

人々に対して影響力を行使することは、モノやサービスを売るときにも、人を教育するときでも、組織の運営でも、現代の社会において、当たり前のこととして頻繁に行われている。

 

相手に対して影響力を行使することは、商品のコマーシャルなどを考えただけでも、当然のことである。

 

しかし、この場合も、コマーシャルを見て商品を買う人が、「影響力を行使されて、商品を買った」のか、「自分で買うことを選択したのか」の違いが、その人の幸・不幸や、人間関係の悪化、心理的な問題に直接つながるということはない。

 

⑧「説得しても相手を変えられない場合があるが、納得すれば、相手は自分から変わる」

相手が変わるように、情報やアドバイスを提供したりして、影響力を行使することは、現代社会では、当たり前のように行われている。

 

相手に対して、影響力を行使した結果、相手が変わろうと思ったときには、相手は変わる。

 

変わることが、相手の願望に沿っていたり、相手の欲求をよりよく満たすような方法で相手を動機づけできれば、相手はより進んで変わろうとするであろう。

 

相手に受け入れるかどうかの選択権があり、また、相手としても、受け入れることが、自分の欲求充足にもつながるのであれば、そのような外側からの影響力の行使については、問題がないのではないかと考える。

 

 

⑨外的コントロール的な行為で伝える「内容」と相手のニーズ

メッセージを受け取る側に、相手が、積極的に教育的な指導や助言、フィードバックを求めている場合もある。指導者が、「あなたは変わらなければならない」と、強く指摘する場合もある。

 

これらの影響力を外的に行使する場合も、それを受け入れるかどうかの選択の自由が本人にあったり、本人がそのような外的な影響力を、自分の参考のために求めている場合には、そのような外的な影響力の行使は、本人の欲求を満たすものであろう。

 

相手にとっては、人間関係よりも、メッセージの中身の方が重要である場合もあるし、「重要な内容」の伝達を受けて、伝えてくれた人に対する所属の欲求が満たされたり、「重要な内容」を知ることができたことで、力の欲求が満たされたということにもなろう。

 

私自身が育ってきた過程を振り返っても、親や先生、先輩から、厳しいことを言われ、そのときは腹が立っても、相手の思いや、言われた内容を考えると、「本当にそのとおりだ、自分は変わらなければならない」「よくぞ、あのとき、言ってくれた」という思いがした経験が何度もある。

 

まさに、「良薬口に苦し」ということわざのとおりである。

 

自分のそばで、自分のことを客観的に見ていて、本心から〈重要なことを伝えてくれる人は、たとえ、伝え方がきびしいものであっても、私たちにとっては、大切な存在である。

 

相手から強い調子で教育や指導、助言を受けても、受け手が積極的にそれに賛同し、自ら受け入れようと選択する場合には、それは欲求を阻害するというより、何らかの欲求が充足されるものと考えられる。

 

ただし、そのような強い教育や指導を受け手が受け入れるのは、伝え手が受け手の上質世界に入っていて、信頼関係があるような場合であって、そうではなく、相手が上質世界から排除されており、信頼がない場合には、受け手は、外的コントロールであると感じるであろう。

 

⑩相手に、外から影響力を行使することは、「選択理論の世界」でも大事なことである

現代社会において、家庭、学校、学習、職場等のあらゆる場面で、複数の個人が協力し、協働し、お互いに、影響力を行使しあい、相乗効果を高めていくこと、互いに、欲求を充足しあっていくことが重要であるのは、選択理論の世界でも、同じであろう。

 

伝え手が、選択理論に基づいて、相手の内的動機付けを重視する伝え方を取ったとしても、やはり、それが相手の行動につながるのであれば、相手に対して影響を与えたことは否定できないし、そのような影響力を及ぼすことは、まさに、伝え手の意図するところであろう。

 

 

⑪問題は「人間関係を悪化させる外的コントロール」である

選択理論では、人の長期にわたる心理的な問題の原因は、「大切な人との不満足な人間関係にある」と考える。

 

また、外的コントロールの行為の代表的なもの(致命的な7つの習慣)として、「批判する、相手のせいだと責める、文句を言う、がみがみ言う、脅す、罰する、褒美で釣る」という行為が上げられているが、これらの行為は、相手を思い通りに変えようとする「外的コントロールの行為」であり、受け手の欲求を大きく阻害し、受け手として、「伝え手との関係を遠ざけたい」と考えるという、相手との人間関係を悪化させるので、してはいけないと教えるところである。

 

⑫選択理論が問題にしているのは、「大切な人間関係」における外的コントロールである

伝え手と受け手が、お互いに、重要な関係(例えば、夫婦、親と子、夫婦、先生と生徒、上司と部下)である場合に、両者の人間関係が悪くなると、お互いに、欲求を満たしあうことができず、「重要な人間関係」であるために、互いに、幸せを減らし、大きな不幸を増やす、長期の心理的な問題を生じさせるという、今の社会では頻繁に起こっていること言う点にある。

 

⑬これまでのところをまとめると

「人間の行動は、内側から動機付けられて行動している」ということは、だれでも、言われてみれば、そのとおりだと了解できる。

 

一方で、「コミュニケーションにおいては、だれでも相手から影響力を行使され、それを受けて、自分の行動を選択するのであり、自分の行動は、人からの影響力を受けている」ということも、これはこれであたりまえのことではないか、というのが、一般の人の受け止め方ではないかと思う。

 

つまり、「人間の行動については、100%に、内的コントロールが当てはまる」ということもいえるが、同時に、「人は、相手の言葉に、多かれ少なかれ、影響を受けて行動する」ということも、言えるのではないかということである。

 

私たちの世界では、相互のコミュニケーションにより、人と人とが、お互いに影響力を行使しあっていることは否定できず、人間社会では、相手に対して影響力を行使することが必要であることも当然のことである。

 

そして、外的コントロール(相手に、外から影響力を行使すること)は、人間のコミュニケーションに伴う当たり前のことであるし、それには、相手の欲求を阻害するものもあれば、充足するものも多くある。

 

このような「相手に対する影響力の行使」が、「外的コントロール」に含まれるかどうかは、「コントロール」という言葉の定義づけをどのようにするかにもよるが、通常の「コントロール」という言葉の使い方では、「相手に対する影響力の行使」は、「相手に対する外的コントロール」の範囲内に入ると解釈されるのが自然であろう。

 

しかし、これまで検討してきて思うことは、「自分は100%内的コントロールに基づいて行動している」とか、「相手に対して、外から影響力を行使することは、外的コントロールだから、一切すべきではない」とかを、厳密に考える必要があるのだろうか、ということである。

 

⑭「外的コントロールの行為」と「人間関係を悪化させる外的コントロールの行為」を区別すべき

選択理論が、「人間関係を悪化させるような外的コントロールの行為はいけない」ということを拡大して、「相手を操作しようとする意図で行う外的コントロールをしてはいけない」「外的コントロール心理学は一切いけない」ということで、言ってしまうと、

 

伝え手が自分の行動を、「外的コントロールにあたるかもしれない」といちいち意識しないといけないと思うとしたら、これまで、問題になることもなかった、「相手に対する影響力の行使」(説得、宣伝、依頼、リクエスト、重ねての伝達)も、その外的コントロール性を気にすることになり、そのために、円滑に行なわれてきたコミュニケーション活動まで、支障が生じることになりかねない。

 

少なくとも、個人の日常生活の場面では、「人間関係を悪化させる恐れの少ないもの」「相手に変わることを強制するものでないもの」「相手が外的コントロールととらえる可能性が低いもの」などについては、外的コントロール的かどうかに、 神経質にならず、円滑なコミュニケーションをとっていくことの方が大事であるように思われる。

 

このように考えてくると、「外的コントロール」を「内的コントロール」に対立するものとして、全面的に否定するのでなく、「コミュニケーションとは、本来、お互いに、相手に何らかの影響力を及ぼしあうものだ」との理解の下に、「相手の欲求を大きく阻害し、人間関係を悪化させる外的コントロールはしてはならない」というように、「問題とすべき外的コントロール」を絞って考える必要があるのではないかと思う。

 

 

⑮次のような主張なら、わかりやすくて、すっきりする

以上のような検討からすれば、選択理論の主張が、つぎのようなものであれば、現在の選択理論の主張に対する疑問や矛盾が、すっきりと解消されるように思われ、わかりやすく、受け止められやすくなると思われる。

 

現在、選択理論で主張されていることは、

①外的コントロール心理学を捨てて、内的コントロールの選択理論心理学を採用せよ。

②人を外から動機付ける、操作するような外的コントロール行為はやめよ、

ということであろうが、

 

これを、

①内的コントロールの選択理論心理学を採用せよ。

②人間関係を悪化させるような外的コントロール行為はやめよ、

というようにする、

 

このように考えれば、

「選択理論を教えることも、ある意味では、外的コントロールではある、しかし、自分の選択理論の教え方は、相手の欲求を阻害することもないし、相手との人間関係を悪化させることものない。逆に、欲求を満たし、人間関係を良好にするものである。したがって、自分の教え方の外的コントロール性を気にする必要はない」

と考えることができ、非常にすっきりすると思う。

 

 

⑯「伝え手として気をつけるべきこと」と「受け手として気をつけるべきこと」

以上の検討の結果、私たちがコミュニケーションを行うに当たって、気をつけるべきことは何か

 

(1)伝え手としては、

・相手の主体性と選択の自由を認めること、

・自分の行為の外的コントロール性を意識すること、

「自分のしようとしている行動は、相手との関係を良くするものか、遠ざけるものか?」ということを自問自答して、相手に対し、人間関係を悪化させる外的コントロールを行わないように注意すること、

 

・相手をよく観察すること、相手の状況に気づくこと。

すでに相手との関係が悪いか、相手が自分を遠ざけているような場合には、自分が相手に対して、人間関係を悪化させる外的コントロールの行為をしているのではないかと、チェックすること、

できるだけ、相手との関係を良くする行為をすること、

 

 

(2)受け手としては、

・「自分に行動を選択する自由があり、行動の責任もあること」「相手が伝えることは、単なる情報に過ぎず、情報を受けとめて、どう行動するかは、自分の自由であること」を意識すること、

 

・現在、身近で大切な人との人間関係が悪化していたり、自分が心理的な問題を抱えている場合は、これらの問題が、自分の相手に対する外的コントロールか、相手の自分に対する外的コントロールが原因ではないかと、チェックすること、

ということがあげられよう。