選択理論は宗教か?

 

選択理論の勉強会のときに、「何か、うさんくさいもの」というとらえ方をされる人もいますし、知人に、よい考え方だから教えてあげようと思っても、迷惑そうな顔をされる場合があります。

 

また、普通の人には聞きなれない専門用語も多いですし、「得体の知れないものに、自分の頭を取られてしまう。」「いい、いいと言うけれど、世の中にそんなただでいいものがあるはずがない」「高額のお金を巻き上げられたり、そのうちに、高いつぼでも売りつけられるのだろう」と思うのかもしれません。

 

私自身も、選択理論は、「宗教」ではないのか、「宗教」でないとしたらどう考えればよいのかという疑問に、長いこと引っかかっていました。しかし、最近は、「宗教ではない」ということで、納得しています。

 

宗教ではないと考える理由はつぎのとおりです。

 

神や仏という超越的なものを信仰するというものではありません。

神がどう言った、何をせよ、何をしてはいけない、儀式、とかという、宗教といえるための要素がありません。

 

一方で、「選択理論を知って、人生が変わった」という人たちが、やがて、「選択理論一筋」「選択理論。これしかない」「選択理論ぜったい」「選択理論に疑問を持ってはならない」「ほかの理論に浮気をしてはだめ」というようになったりすることもあるように思います。

 

勉強会などで、ときどきそのような発言があると、私には、ちょっとついていけないところがあります。ある考え方や主義を「絶対」とすることに対して、違和感があり、選択理論・RTを取り入れるかも自分の選択であって、個人の主体性と選択の自由は、この点でも大事だと思うからです。

 

選択理論のことを広く知らせていく場合にも、相手にとって、外的コントロールと感じられないようなやり方が必要でしょう。

 

教わったあと、自分が取り入れるかどうかも選択ですし、いったん取り入れて、その後やめるのも選択です。

 

私自身は、現在は、協会に入っていません。書きたいことを自由に書くためには、その方が気楽でいいかなあと思っています。